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英・西語の学習とヨガ

子どもの連れ去り別居は片親疎外という児童虐待を引き起こしている。現在、離婚調停中で2人の子どもと引き離され、会うことすらできない2児の父です。昨夏からYOGAをはじめていたおかげで精神的になんとか維持できています。

初のピアノ発表会

もちろん晴れの舞台で、親も緊張したのだが、本人はいたってリラックスしており、楽しんでいたようだ。


ふと、思ったのは生徒の残念な様子を見てしまったことだ。

最後に講師の演奏の場面があった。
その時に、「わぁ〜!先生が弾いてる。かっこいいなぁ〜♪( ´▽`)」という眼差しの子どもは極少数。大抵は友どちとお喋りしているか、プログラムをぼけっと眺めていた。

これには、何とも複雑な気持ちになった。

私は子どもの頃は水泳を長くやっていた。もしも、コーチが泳ぐ。しかもいつもやるお手本程度の数メートルの模範泳ぎでなく、フルで泳ぎまくる!となった時を思いだした。(デモ的なコーチ陣の対抗リレーか何かだった)

皆、そのダイナミックさ、いつもと違う真剣な背中のデカさ、グイグイという力強い推進力に目を奪われたものだ。
いつもは、お茶目なコーチ。それが勇ましく逞し勇ましい姿に、一堂「おおおっ!はっえー((;゚Д゚)」と叫んでいた。

小学校高学年の子供らでさえ、自分の意思でなく、親からの「やらされ感」はあるのだろうか。もしも、そうならとても寂しいことだ。嫌々やることの疲労感は何を生むのだろうかと考えてしまった。

今、娘は幼稚園の年長さん。時にはグズルけれど、きっとまだ好きでやっているように感じる。

もしも、これから嫌がってやらない時には、その判断は自主性を尊重すると共に、今回見た場面のような、本心の気持ちが、ふと現れてしまう状況からも考えてみたい。

まぁ、今回の娘の場合、講師の演奏を見るでも聞くでも、オシャレべりするでもなかった。
ただもう2時間に及ぶ発表会と緊迫感に飽きてしまい、席をたって、こちらに頻繁に歩みよってくるという有様でしたf^_^;