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英・西語の学習とヨガ

子どもの連れ去り別居は片親疎外という児童虐待を引き起こしている。現在、離婚調停中で2人の子どもと引き離され、会うことすらできない2児の父です。昨夏からYOGAをはじめていたおかげで精神的になんとか維持できています。

毎日のルーチンからの気づき

先週のレッスン時に、ヨガの先生から太陽礼拝の毎日実践を勧められた。


それから、何とかやってみた。(^_^)v


とはいえ、私は毎朝4:30前後に起床し、朝食準備、風呂掃除(静岡は防災意識?からか、朝までタメ湯する家庭多い!?)、軽く部屋掃除などをして、5:50には家をでる。

(週一くらい早出勤務の時は4:50に出る(;_;)。幸い週一くらいは遅出の時は6:20分に出る)


だから、どうしてもこの合間に行うから、結構慌しい。

結果、今週の挑戦は、ほとんど寝る前になってしまった。


とはいえ、以外にもたったの一週間だったけれど、一つのアーサナに変化起きたような気がした。


それはダウンドッグの時。


今までなら、まず腕や背中の形ばかりに気を取られていた。その次に足の位置、最後にお尻位置をモジモジと調整して、再度、手や肩に戻るみたいな。


なんか、恥ずかしながら、形ばかりにとらわれていた。これって自分はきっと誤ったヨガに陥っているに違いない( ˙-˙ )  と何となく気がついまった。


なるぼと、やはりそうのようで、今の私の愛読書(前にブログでも書い  た綿木先生の著書)や担当の先生はよく「痛気持ちいい」という言葉を使られていることを思い出し、それを意識してみた。


つまり、本の「頭を引き上げる」という記述をヒントにした。


私なりに、どうやらそれは、一番高い位置に来た部位をそういうイメージで捉えておく…ということなのかな。と解釈してみたのだ。


だから、ダウンドッグの一番高い位置のお尻をまず、グイっときめ、引き上げることで、手肩脚が付いてくる。…そんなことを考えてやってみた。


それは、例えば、身体を一枚の布と仮定すると、その一部をツマミあげ、三角テントを作るように。


テントの裾は緩やかでしなやかな張りのある斜面になる。これが、あのキレイに伸びる肩から手先そして、腰から足先までそんなイメージを持ってみたらどうだろか…と。


今のところ、前より頑張る度は減った気がする。


なにせ、昨日までは、手先腕肩足脚足首お尻次にまた腕OK? あっ肩力んでるなぁ、足首かならくるなぁ…   と、思考しまくりな、ダウン寸前ドッグなピリピリな意識の中でのヨガだった。 


 それが、単に「お尻ぃうを〜天にぃ〜突き刺ぁ〜ぁすぅ、ずぅとずっとうえ〜、にぃ〜、グーンと伸びぃーる」という気持ちだけで臨んでいるから。(^∇^)


まぁ、この手順が正しいかどうかはわからない。

でも、その肝心の痛気持ち良さが、自分にはシンプルな形で与えられているのは救いのように思う。


 

毎日のルーチンの中での繰り返し。

何かしら気づくことで、少しづつでも、ヨガの中に、自分の格を作ることができていくのだろう。


今度のレッスンでこんな解釈でよいのか聞いてみよう。


そうそう太陽礼拝やっていて、気持ちよくスィーとできる所。特に呼吸の吸うや吐くと身体の動きがマッチした時。これってとても感じが気持ちよい。


しかし、私は実際のところ、初っ端のところに、強い違和感がある動きがある。次のアーサナに向かうのに、適当にやってしまっている自分の身体の動きが嫌だという箇所があるのだ。



これについては、また後のお話しに…