読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

英・西語の学習とヨガ

子どもの連れ去り別居は片親疎外という児童虐待を引き起こしている。現在、離婚調停中で2人の子どもと引き離され、会うことすらできない2児の父です。昨夏からYOGAをはじめていたおかげで精神的になんとか維持できています。

太陽礼拝108回に初参加 中編

さあ、いよいよ太陽礼拝がはじまった。いや、はじまっちゃった!ヽ( ̄д ̄;)ノ=3=


もうこうなったら、少し尿意がある‥と心配しているより、それは気のせいだっ!と脳を騙すしかないと直ぐに考えなおそうと思い立った。


でも、このマットに静かに密かにそっと含まれている冷やっとした少量の水っぽさは、本当に嫌な奴だった。


アーサナの度、本来なら掌や足裏、胸からの圧やマットから圧力の反発を受けとめる合間にあるであろうお互いからの熱量をちっとも帯びてこなかった。

こういう初めて体験する違和感が結局終わるまで気になってしまった。何とも残念なことです。


とはいえ、どんどん進行していくマントラ‥。

今思うと、108回は何となく4分の1ずつに、自分の意識変化の波があったように、思い出される。


はじまって間もなくは、右左を間違えないことや、どこかキチッ・キチッと一つ一つのアーサナを生真面目にやっていた。なんとも強張りを伴う肩のこるような息苦しいものだった。


次に、まぁ全部で108回もあるのだから、失敗はつきもの。左右の違いなんて二の次さ!という心境に。


どうせ気にしてやるなら、呼吸をしっかりやろうと思い直した。

お腹の動きや心地よさのある胸の反り、伸長とか。空気の腹や胸の喉の通り素直に感じ、それに清々しく意識してくようにした。


回数を重ねると、何とか完走できる目指し、パワー調整なんて狡いことを思いついてしまった。先生は、自分のペースで休んでしまってもいい。と仰っていたが、やはり止まりたくないという気持ちは強かった。

だから、今度は疲れにくいアーサナを目指したくなった。呼吸への意識は続けるとともに、疲れ易い力みは無駄だなと。でも、キメるところ以外は、ゆったりと構えてみよう。٩(^‿^)۶


例えば私は肩から上腕〜前腕はしなやかさが足りなかったように感じた。でも、キメるところ‥っていっても、身体全部をシャキーん!と強張ったアーサナにしてしまっては、何か違う。

喉だったり、腹などのバンダ?をポイント的に意識するのかもしれない。しかも、併せて、気持ちの良いポイントを求めて(^。^) 


この辺りの意識の仕方は全くダメ。まだ単にアーサナを真似ているだけであり、少しは柔軟になった身体の伸ばしや屈曲と呼吸の出し入れという器械的な動作しかできてきないことが否応にも感じられる結果となっていた。今後はこの意識のもっていう箇所(筋肉や関節もさることながら、やはりなど→これは先日購入した『ヨガのポーズの意味と理論がわかる本』にはよく記載があるので参考にしたい。)


そろそろ半分を折り返したとき、隣の小3くらいの女の子が、トイレに行ったようだ。

あ〜‥、私もここで一緒に出て行きたかったなぁ。 


でも、なんか大人って、ついやせ我慢してでも、やり遂げることが目的になってしまう。悲しいことに‥。


あ!いやまてよ。もう半分なら何とかいけるなあ。アーサナを繰り返しながら、前の一回より、次の一回はよく身体が伸び、しなやかな動きとなってきている?。どんどん身体が柔らかく深くそして、力も湧いてくるようだ。


それどころか不思議と疲れはあんまり感じていない。

必ず腕や肩から疲れがジワリとくると思っていたので、何だ気が楽になっていた。 


それぞれのアーサナをマントラに合わせながら、空気がグーンと入って、フーーっと細く長くでていると、とてもリラックスできた。


いったいこれは何度目の礼拝になつているのかは全くわからなかったけれど。こんな回数が目の前にデジタル表示されているなんてことになったら、それこそ興醒め、古典的に言うなら、「わろし」でしょうか(-_-)


さぁ、いよいよ半分を通り過ぎ、おそらく、残りあと少し!という場面で、今は考えたくなかった煩悩の最たる光景が目の前に繰り広げられたのであった‥‥ (´;Д;`)


次回、最終の後編へと続く⤵︎