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英・西語の学習とヨガ

子どもの連れ去り別居は片親疎外という児童虐待を引き起こしている。現在、離婚調停中で2人の子どもと引き離され、会うことすらできない2児の父です。昨夏からYOGAをはじめていたおかげで精神的になんとか維持できています。

太陽礼拝108回に初参加 後編

ラングスジャパン(RANGS) バランスバイク UKレッド

この太陽礼拝108回は、もう一踏ん張りすれば、終わるだろう。

正直、思っていたよりは、だんぜん腕の疲れはなかった。


アーサナ中に、目の前の大きなガラス窓から見える景色は、ずっと静かで寒ざむとしたグラウンドが広がるだけ…。

流れて行く雲も、飛ぶ鳥も見なかったし、車の騒音や鳥の声さえもしなかった。


そんな時、賑やかな声が、やをさぁーっと目の前を通り過ぎた。


歳は5才位の女の子と親子だ。その子は、自転車に乗っていた。まだ補助輪なしには乗れないようだ。

その自転車は、練習用のいわゆる「バランスバイク」。


それを見た時、一瞬にして、ヨガ中の私は集中力が崩壊してしまった。もう今自分の身体の右、左手のどちらを動かしているのか?、はたまた吸うも吐くことも分からなくなってしまった。身体を伸展するタイミングすら、ズレまくり、マントラの声を聞き取れないほどに、視覚だけを乗っ取られてしまった。


目の前で、連れ去れてしまった娘と同じくらいの年齢の子どもが、仲睦まじく自転車乗りを披露している光景があったのだからたまらかった。


娘は夏にようやく上手に補助なし自転車に乗れるようになった。 


私の子どもの頃、あんなバランスバイクみたいに、オシャレでなものはなかった。

それを買って補助なし自転車を練習することは、かなり贅沢なことだと私は考えていた。


だから、ひたすら(親も子どもも)従来どおり、根性で根気よく練習してこそ、補助なし自転車を克服するものなのだと思っていたし、それを実践した。


とはいえ、私はもちろん、娘が苦痛にならないように、でも、時には厳しく、同時に飽きさせず、投げ出さないように、うまくあやしつつも、気長に練習につきあった。


ワガママや泣き言を言われ、3回ほど補助輪を付けたり、外したりした。

気分転換で、少し遠くの公園で練習した時には、怪我をして、おんぶしながら、公園から自転車を押して帰ったり…。

そして、今はもう自由に乗りこなせるようになっている。

  

補助なし自転車の練習親子のあるある会話は、こんな調子だろう。


「離さないでね!」「あ〜、持ってるよ。」「離さないでよ!」「大丈夫。絶対持ってるから、ほら前をちゃんと見て!」「おっ、いいよ、いいよ、そうそう!その調子」。

「もってる?もってる?ねえ?離さないで!」 


…なんてやりとり、何度したことか。そういえば、あの練習時は、中腰の前屈みのかなりキツイ態勢だったなあ。


そしてついに、フワッとふらふらしつつも推進していく自転車をドキドキしつつも、誇らしく見送った瞬間の感動は忘れない。


娘の場合、他の子どもより乗ることができるまで、結構時間がかかった方だと思う

でも、不安だけれど一生懸命な娘の表情の美しさを間近に見て、その声を感じられた。


そんなことをそのバランスバイクで、自転車に乗り慣れようとしている子どもを見て、全く会えない娘を思いだしてしまったのだ。


おかげで、その思考中に何回やったのか、全く覚えていない。


そうこうしているうちに、先生からあと2セットです…との声がマントラの合間に静かに流れた。


あ…、もう終わりか。


煩悩を捨てるための108回とはいうけれど、私の場合、多分100回前後からは、ひたすら煩悩の中を彷徨って、太陽礼拝を続けていたのだろう。


私の太陽礼拝は、疲れたというより、最後のこのエピソードのおかげで、なんだか、その後のヨガニードラ時でさえ、集中できなくなってしまった。


先生の声を聞いても、つい、子どもらのことをあれこれと、疲れの中に思考ばかりしてしまい、全く聴こえやしなかった。


身体の疲れもあるだろうに、シャバーサナからの爆睡にすら、全くならなかつた。これは脳の興奮が過ぎたことが伺える。


今年の私の太陽礼拝108回はこうして、終わった。


身体は健康そのものだが、いかんせん精神的には、かなりのダメージがあるのだなあと自分に気付くことになった。


つまり、気づきという、ある意味ヨガの訓えに真っ向から体験することになったと思えば、良かったのかな?!


次回、あとがき へ続く⤵︎ 

(実家からは、ネット接続できないと思うので、来年かも)


では皆さん、良い年を!