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英・西語の学習とヨガ

子どもの連れ去り別居は片親疎外という児童虐待を引き起こしている。現在、離婚調停中で2人の子どもと引き離され、会うことすらできない2児の父です。昨夏からYOGAをはじめていたおかげで精神的になんとか維持できています。

新年初のヨガのレッスン

日曜日は今年初のレッスンで、生徒は2人だけでしたf^_^


この少人数って、私たち生徒には最高。‥なのだけれど、余計なお世話ながら、先生の収入には影響大なのでは?と心配。(焼津レッスンだけ閉鎖されては困るし)


先生は教え方、雰囲気、ヨガ愛、どれも申し分ない。でも私が思うに問題が3点あると思う。


1  看板のスタジオ名が、筆記体で、車で走りながらだと、さっぱりわからない。黒地に白文字は実は結構読みづらいのだ。おまけにYOGAの文字は小さいため、筆記体のスタジオ名の読みづらさに目を奪われているうちに、見逃してしまう。‥という悪循環。

かえつて、もう一つ看板を追加して、ヨガのポーズ画も入れたらどうかな。

2 新聞折り込みチラシを全く見かけない。

3  体験レッスン時、開始早々マントラ唱える(オーム、シャンティ×3づつ)。これはある年代の人には抵抗感あるかも。オームの発声がヨガの大切な言葉の一つであって、全く怪しい宗教活動とではないことを補足説明した方が良いのでは。(たまに言っているけど)なんて、勝手に思うのであった。    


先生は勧誘にガツガツしたところが全くない。生徒としては、その逆だと興ざめしちゃうから、まぁ良しとしなくては(・_・


それと、スタジオには私以外男性がいないことが残念。

ヨガは最適な運動。またメンタル的にも癒し、清浄作用のあることに、なぜ寄ってこないのだろう。時間も心のゆとりもないのかな?何よりも自分がオッさん化していくのって、嫌じゃないだろうか?!  


私の場合、ヨガを続けたい理由は健康だけでなく、子どもとの関係のためかもと思うようになった。


‥というのも、調停又は審判(裁判)では今までの子どもへの監護状況、家庭での役割や経済面での貢献をどんなに力説しようが、子どもの親権は奪われるのだろう。悔しいけれど、今の裁判所ではそうなるに決まっている。


日本では、連れ去った親が子どもへ「片親疎外」という虐待をしていることを全く無視している。日本の司法の堕落と怠惰、時代錯誤な慣習。そして、こんなことを長らく黙認しているこの国は、将来の低迷を感じざるを得ない。


だからこそ、自分は卑屈にならず、せめて凛々しく歳をとっていきたい。爽やかに、快活で健康的な姿を維持しながら、子どもをささえていける父親でありたい。老け込んで草臥れたりしたくないのだ。


意地悪で異常なほどの金の亡者、狡猾さが増し、益々醜悪になっている妻とは違ってね。( ̄ー ̄)  


そういえば、もう2ヶ月も子どもに会わせてもらえていない。


「〜してもらう‥」。

つまり、既に差別的な待遇をさせられているのだ。相手が子どもと同居しているだけで、既にこの格差を生じさせ、苦しめられなくてはならない。


この悔しさや、やるせなさ、哀しさは、引き離しという虐待の真実。益々夫婦間の憎悪を増すだけの片親親権のもたらす悲劇なのだ。

あ、つい愚痴が‥f^_^;


さて、年末の太陽礼拝108回から、このシーケンスにも自信がついてきた。

今日は、この少人数のおかげで、「身体に触れてのアジャスト」の機会が増えていた。


教わることは、口だけ、見るだけは、よりこうして触れられて、伸ばす押さえる、引き上げるなど、具体的かつ、その状態を「身体で直接的に気づかせてもらう」。

こんな機会はとても大切なことだとつくづく感じた^ ^  


適切な身体の使い方を一度体感できたなら、次にそれを再現すれば良い。たった一回のアジャストだけでも身体が自分を誘導してれるのかな。不思議だ‥(^.^)