語学の学習とヨガや猫

子どもの連れ去り別居は片親疎外という児童虐待を引き起こしている。現在、離婚調停中で2人の子どもと引き離され、会うことすらできない2児の父です。 昨夏からYogaをはじめていたおかげで精神的になんとか維持できています。 家族を失い誰からも頼りにされない孤独感を癒すため、最近、仔猫を飼い始めました。

第1回目の調停参加

前回は出席できなかったので、別居後ようやく半年目にして出席できた。


呆れたことに、親権争いは熾烈となることが予想されるため後回し。

調停では解決は無理。結局は裁判になるでしょうからねと。


すなわち、この言葉の意味することは、争うまでもなく負け確定となるということなのだ。親権はもう獲得は無理なのだ。

今の異常な日本の司法では、到底連れ去られた方は、勝てないことが明確なことはわかっていた。

しかし、調停という話し合いを全く満足にさせてもらえないことになるのだ。


私としては、頭の整理と説得力のある事実を説明するため、かなりの時間を費やして準備してきた。

弁護士の作成資料を除いて、A420数枚にわたり、調停委員の想定質問の全てに対し、手持ちの説明補足資料を持っていたのに。


残念ながら、それよりもまずはお子さんと会いたいでしょ?と勧めてきた。

それはそうだが、妻側はなんと「同伴の面会交流」を要求してきた。


私はそんな監視下におかれていては、子どもにとって片親疎外の呪縛から抜けられないから。と反論した。

しかし、まずは試行的にでもやるべきと執拗に言われた。


私は「月に3回、半日以上。宿泊や長期休暇時の宿泊付き、学校行事参加」を求めたが、全て却下。


その同伴の面会交流ですら、公園遊びなら最低2時間だろうと譲歩するも、結局1時間/月!に。


今まで何もやらない妻に代わり、子育てをどれだけやってきたことか‥。

結局は、連れ去った側が常に正義なのだ。本当におかしい、まるでこちらが悪人だ。


一方、昨今のニュースを見るにつけ、天災、事故、事件で子どもを不意に失った親の多いことを思い浮かべていた。


〝知足〝。これはヨガを始めて学んだこと。今の状況だけでも満足しておく。欲を出しすぎてはいけない‥多分概ねそんな理解だろう。 


つまり、離婚調停中、離婚後ですら、何年も会えない多くの人がいる悲痛な事実があることを忘れてはならない。

それに比べたら、子どもの居場所だってわかるし、月一だとしても会えるのだから‥と、思うより今は仕方ない。悔しいけれど、今この機会で拒否や時間をゴネたらドンドン延期となってしまう。


この異様に少ない時間の取り決めは確定ではないという。しかし、きっと妻らが同伴していたら子どもは再び強張り怯えた表情になるだろう。

そしてその実績を積み重ね、今度は子どもが会いたくないと言ってくることも考えられる。間違いなく狡猾なのでやつてくる。


それが相手の手なのかもしれない。

とはいえ、未来の悪い予想よりまずは今を突き進もう。

子どもには、いつだってパパに愛されているという気持ちを早く示してあげたい。

笑って昔のように手を握り、握り返してニコニコ笑い返す子どものその癖を味わいたいし、彼らもそれを思い出して欲しい。呪縛よ消えろ‥


それにしても、婚姻費用の算出方法を相手方弁護士や調停委員は誤っていた。5万円もズレていた。それを堂々と説明した馬鹿さ加減に呆れた。

もちろん私は即座に気づき、それを指摘した。

しばらく認めようとしなかったし、こちらを軽蔑するかのような態度であった。


案の定、あの年代の人らはプロ意識が低い。こんな奴らに人生を委ねる屈辱が一番不甲斐ない!


どうしても納得できないのは、子連れ側の言い分は、子どもの代弁という立場を利用し、全く子どもを考えてやしないのに、正論となること。


日本では、こうして不幸な家庭がドンドン生まれていく。

別れて憎しみ合うのだ。子どもを盾にする奴らと、それを援護する裁判所の制度のせいで。

子どもをもちろん愛し続けるけれど、もはやこの国に今の時点で、将来はないと思う。あまりにも親子関係性の研究と実害を軽視し過ぎている。その犠牲者の私は切に思う。今後の片親親権への見直しがどのように展開していくのだろうかと。

先進国なんていうけれど、年々増加する離婚のもたらす、親や子どもらの精神的苦痛やしこり、不安、不満は、この社会の拍車をどんどん狂わすことになるはずだ。

せめて他国のような両親親権や、面会交流における平等性を取り戻して欲しい。自分の事例にはもう間に合わないけれど。